[ODFD#0007]人生を諦めるということ

目的

どういった言動が人生を諦めているということなのかを明らかにし、人生を諦めない指針を示す

対象読者

すべての障害者

著者/障害

なおぴょん/統合失調症

内容

障害者の人には「人生諦めている」としか思えない人も多くいる。そういう人に「人生を諦める」ということはどういうことかを理解し、人生を諦めない指針を示したい。

依頼心

人生を諦めてしまった人にあるのが「依頼心」だ。自分の状況を変えようともせず、自分のなりたい自己像を他人に委ねてしまうような言動をする。それが依頼心であり、人は人生を諦めている人は必ずこの他者への依頼心がある。この依頼心は価値観の押し付けに近いものであり、障害者の自由に全く反逆する。上記の依頼心は、自分の人生に対する責任放棄でもある。人生に責任が持てないということは、それ以外のことにも責任を持てないといっても過言ではない。言い換えれば人生諦めている人間の精神は子どもであるというしかない。

言う通りにもする通りにもならない

子どもは親の言う通りにはならない。するようになるという。実際そうなのだが、もし親が人生を諦めてしまっている人だとすれば、その親のする通りにもならないだろう。人生諦めた人間の言動はどこか軽薄。その言動は誰かに何かしらの影響を与えることはできない。つまり人生諦めた人が他者に依頼心を向けてもその依頼心に答えてくれることは全くない。全く無駄である。人生諦めた人は少なくとも精神的には死んでいるに等しい。

自分が「生きている意味がない」という自覚

人生諦めてしまっている人がもう一回人生をやり直せるとすれば「自分が今の状態では生きている意味がない」という強い自覚以外にはない。人生諦めてしまっている人にいくら「人生諦めるな」といってもその声が届くことはないだろう。必要なのは叱咤激励ではない。人生諦めた人に必要なのは冷徹な突き放しだ。そうして孤独な状況に追い込む。人に依存して生きようとした人はそこで危機感も感じるようになる。それでようやく能動的に動くために必要な「危機感」「孤独感」が揃う。自分の人生は自分で責任を持つしかない。そう自覚したとき、人生は再スタートするのだ。